続:やっちまった。(続×3:新・日本国憲法??)

 さあて、どこまで書けるか。×、の次の数字がどこまで伸びるか。
 まぁ今回のネタは、どちらかというと「憲法とはなんぞや?」に対する自己考察と批評。

前文
われら日本国国民は、神仏の心を心とし、日本と地球すべての平和と発展・繁栄を目指し、神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め、ここに新・日本国憲法を制定する。

 これについては、

  • 宗教国家としての立国を目指す
  • 日本と地球すべての平和と発展・繁栄を目指し=国際社会における日本国民の責務の自覚。
  • 神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め=ここから基本的人権保障が発生する、としている。

 さてやるか。
 幸福実現党FAQ(PDF)によれば、
十七条憲法の、

二に曰く、篤(あつ)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。

を踏まえたとか。

 だからか。やたらめったら義務だらけというのは。
*1

*1: 名現代語訳があったのだけど

>>
二つ目に申しのべる、篤く三宝を敬う事。この三法とは釈迦、釈迦の説いた教え、そして其の戒(いましめ)を守ってさらにその教えを説きさらに実践している僧のことである。〔四生とは卵生・胎生・湿生・化生の事〕生きとし生けるものが終局的に帰するところはこの三宝によるのである。この三宝こそ全ての国で最も優れた法である。仏教は時空を超越し、普遍的に誰かれなく崇拝されてしかるべき法である。確かに先の条項で述べたように人は悟れるものははなはだ少ない、自らの利あるいは集団のみがよかれとするエゴイズムを知り克服できる者は少ないが、しかしはなはだ悪い者もまた少ないのである。どうにも救済できないという者も少なく、仏法の教えをよくよく教える事によって気づきが起こり救済されるであろう。この仏教に拠らずしてどのような教えが人の心の悪(賄賂、汚職、おもねり、誹謗、怒り、憎しみ、嫉妬等)をなおすことができようか。