赤祖父俊一氏の「地球温暖化の原因は炭酸ガスにあらず」

 相手は「地球温暖化懐疑論」。こいつをバスターするのは、正直手に余る。

 と言うわけで。今回の手法は「地球温暖化懐疑論批判(東京大学:IR3S)(原本はこちら)」 を唯一の武器にすることとする。(以下「懐疑論批判」と略する)

 もちろん、この本もまた、科学的思考法により「ツッコミ」を受けるべきものである。(事実、ぶった切り方がまさにバスターどころか、スレイヤーになってる、とか、これは国費を使った国民洗脳本だ、とかいうネタは、存在する。こちら。)そういったわけで、唯一の武器とする手法は、危険な方法でもある。

 というわけで、今回は懐疑論批判」の「はじめに」には、2005年9月、2006年2月の討論資料が元、とあるわけで、それ以降にこの本で突っ込まれるようなことを記しているのは、ツッコミ側の怠惰、とみなしてツッコミ返す、という、ひねくれた手法を用いる。

 では、つかまつる。

 先ずは序論。
 炭酸ガス排出量を2020年までに対1990年比で25%削減と鳩山首相が宣言したことに対し

と、批判。まぁ政治的駆け引きはここではさておくが(京都議定書から逃げ回っていた米中を、テーブルに縛り付ける効果はあった、と言うべきかな?)。

 さて本論へ。

ところが、もともと日本の炭酸ガス放出量は、全世界の4%弱であるので、その25%削減は全世界の放出量の1% にしかならない。


これは「懐疑論批判」議論36「京都議定書を守っても温暖化対策の効果はない」への反論を使えばいいかな?

「日本が京都議定書の数値目標を守っても全体反 論的な影響は小さい」という議論は、まず日本が世界第4位の温室効果ガスの「大排出国」であることに対する事実認識がない。また、「小さな部分にどんどん分解すれば、どんなものでも部分が全体に与える影響が小さくなるのは当然である」という意味で非論理的であり、「一人だけ悪事を働いても全体的な影響は小さいから問題ない、と主張しているのと同じである」という意味で非倫理的である。

さらに先進国で歴史的排出量も多い日本が率先して取り組めば、他国に低炭素社会のモデルを示すことになり、途上国側に対する先進国側の主張の説得力を高めることになる。逆に、これが途上国により積極的なコミットメントを引き出すための必要条件であるという意味で、日本の京都議定書目標達成は世界における排出削減に大きく貢献する。

第2論

気温上昇はすでに1800年頃から起きている

というのが、この論のキモらしいが、赤祖父氏は
『暴走する「地球温暖化」論』(2007年)でほぼ同一の論を述べていて、しかも安井至氏によってバスター済みのネタ。安井氏への反論不能=沈黙=肯定、となってまう。ちゃんと反論したのかな?この2年の間に。

地球温暖化懐疑論批判」では議論5「2001年以降、気温上昇が止まっている」と10「最近の温暖化は自然変動にすぎない」への反論を使えば対処可能になってまう。

 というわけで、「せめて反論できなければ新ネタを持ってこい、新ネタを。」となるのだが。

小氷河期中は太陽活動が低かった証拠が次々と発表されている

 これも議論8「最近の温暖化は主に太陽活動の影響である。」ですでに出ているネタ。

重要なポイントは、20世紀後半においては太陽活動が活発化する傾向は見られず、20世紀後半の急激な温暖化は太陽活動では説明できないことである

 あとは、IPCC批判については、「地球温暖化懐疑論批判」のはじめに、の、

言うまでもなく、物事に対して懐疑的であることは科学の基本であり、常に必要なことである。IPCC報告書には、様々な対立する意見が検討され続けており、その上で、現時点においてもっとも状況をよく説明できる仮説が、その確からしさに関する定量的な議論とともに紹介されている。このような営みは、現在までに蓄積された科学的知見に基づいて、より深い理解をもたらすための「科学の営み」である。

を持ち出せばよかろう。 IPCC報告書には、様々な対立する意見を出すところが、赤祖父氏の言うように「意見一致」てのはなかろう。むろん各論部分だけどな。

さらに書けば。議論1「温暖化、特に温暖化への人為的な影響に関する世界的な合意はない。」の懐疑論者主張1

全米科学アカデミーの元会長(Frederick Seitz)が(も)京都議定書を否定しており、世界では、温暖化に対して懐疑的な議論が活発になされている(渡辺2005, p.74;矢沢 2007)。

と、赤祖父氏の

学問は、一つの仮説を提案するグループとそれに反論するグループの健全な討論があってこそ進歩する。

と衝突。(これもバスター済み)

 最終段「温暖化問題での科学者の指名、政治家の責務」は、「第5章 京都議定書の評価」で反論がなされてしまう。

 ましてや

「(COP15で)現在、温暖化は止まっている。ICPPでなく、学界でこれを研究してもらうまで、地球温暖化問題と排出権の議論は中止すべきである」と発言すればよい。

と、主張されてますがこれを鳩山首相が言ったら、そりゃ大笑い確定。

ここで反論済。2001年以降、気温上昇が止まっている

科学では、多数派より少数派、場合によっては一人が正しかった例もあることを忘れないで頂きたい。

は、先にも記したが、疑似科学を主張してる人の特徴に、片足をつっこみかけてる危険。

マーティン・ガードナーによる指摘
1952年、アメリカ合衆国懐疑論者マーティン・ガードナーは、その著書において、疑似科学者の傾向として以下の5項目を挙げた

1. 自分を天才だと考えている。
2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
4. もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。


 もっと言えば。この「地球温暖化懐疑論批判」を自身のページで解説した安井至氏は、もっと容赦のないバスターぶり。気象と気候を混同してる、とか、余りにも単純過ぎる論理で、これでは通用しない、とか。

 ただ、最初にも書いたとおり、バスターどころかスレイヤーになると、これまた安井至氏の同じページからの引用になるが、

これは、温暖化を全く知らない人がある講演会に出席したときの感想として聞いたのだが、赤祖父氏とこの冊子のある著者が対談したのだそうだ。「この本の著者の反論が赤祖父氏の言動の弱点を余りにも無遠慮に暴くような感じがして、感覚的に同意しにくい感触だった」、というのが感想だった。その人が言うには、「自分は科学的に正しいものがどれかを判断するだけの知識は無い」とのこと。まあ、やり過ぎは無意味な反発を招くということなのかもしれない。
 むしろ、一般の人々のことを考えると、反論のしかたを工夫することも必要なことではあっただろう。

 疑似科学バスターの弱点は、バスターの快感に必要以上にはまりすぎて、ダークサイドに堕ちた論や、バスターそのものがダークサイドに堕ちた例が少なくないこと。ちょっと今回はオレもやり過ぎたかな?と思う。

 しかしながら、明快な反論・新ネタを「正論」の締め切りまでに、赤祖父氏が説得力のある論を立てられなかったということで、懐疑論にマイナスポイントを与える他なし。

 当分の間、反「地球温暖化懐疑論批判」が、懐疑論者のベンチマークになりそうな。