聖なる戦い(続々:ぼくらの未来は光にみちているか)
もうこれで、終わりになるんだろうか。いや、終わりにさせてください、イヤマジデ。
【産経抄】3月16日
日本初の本格的長編カラー劇映画「カルメン故郷に帰る」は、東京・浅草のストリッパーが、故郷の村に帰って混乱を巻き起こすコメディーだ。「わしが自分で裸で踊るより恥ずかしい」。娘が村でストリップをやると聞いて泣く父親に、笠智衆演じる小学校の校長先生がいう。
「恥ずかしいということは人間だけが知っていることだ。尊いことだ。尊いことだよ」。人間だけが知る「尊いこと」を伝えるのが、教育のはずなのに、正反対の性教育がまかり通る学校があった。性器の部分が強調された男女の人形などを教材にしていた、東京都立七生(ななお)養護学校(日野市)もそのひとつだ。
知的障害により、自分が受けた性被害を伝えられなかったり
(この裁判ネタのエントリタイトルを、テレビドラマの「聖者の行進」から採ったのは、最終話、段田安則演じる工場長が、雇っている知的障害者(雛形あきこ演じる)を強姦した容疑で告訴するも、永遠(とわ:いしだ壱成演じる、知的障害を持つ青年)の証言が不完全故、結局無罪になる、という話から。)
性欲の制御が困難だったりする、であろうこと。
こちらもそのくらいの「恥」は知っているつもりだ。自分の当て推量だけで述べる事をやっちゃいけない、位の。
(この騒動の最初、オレも「こりゃ、行き過ぎだろ?」と、小学校での話と勘違いしてきたと、勘違いした。それを「恥じる」意味でもここに、エントリを残す。)
七生養護学校の過激な性教育が明るみに出たのは、平成15年に都議会で指摘した都議が視察し、それを小紙が報じたからだ。当時の教員らが、精神的苦痛を受けたなどとして訴訟を起こし、東京地裁は先週、都議の行為を「不当な支配」と認定した。
えーと。これは拙いですよ。
支援者の方が判決文(PDF)をアップしていますが、
被告都議らが、本件視察の際に保健室において原告()及び原告()を批判し、非難した行為は、政治家である被告都議らがその政治的信条に基づき、本件養護学校の性教育に介入・干渉するものであり、本件養護学校における教育の自主性を阻害しこれをゆがめる危険のある行為として、旧教育基本法10条1項の「不当な支配」に当たる。(P5)
前段では、議員や校長ら管理職の前で反論不能の状況なのに、「こういう教材を使うのがおかしいとは思わなかったんですか」「感覚が麻痺している」と都議が発言したことが、不法行為責任であると認定されてる。
(これって、パワハラじゃないですかー)
もう一回書きますよ。日教組をぶっ潰せ発言をやってる自分たちに、見事に跳ね返ってることを自覚されていないのが、頭が痛い。
それこそこれが通るのなら、「日中戦争は、コミンテルンの意思によって引きずりこまれたので、日本はじつは被害者だった」とかぶっ放す社会科の先生に対して、議員が乗り込んできてもおけー、と言うことになるのかな?
何だか、従軍慰安婦問題を扱ったNHKの番組をめぐる騒動を思いだす。
朝日の社説で、国旗国歌へ暴走したのは、なんだかなぁーとやったのと同様に、こっちもなんだかなー。
でもついてるタグが、
このニュースのトピックス:慰安婦問題
なのは、なんだかなもう。
今回も裁判所は、性教育の内容については判断を示さなかった。問題の本質から目をそらした判決だ。元教員たちは、都教委に没収された教材を取り戻して、再び過激な性教育を広める決意を語っている。やれやれ。
判断を示せば、それこそ裁判所が教育庁のやり方に手を突っ込んでしまうことになる。それは拙い。
むしろ、「立法府の人間が教育庁のやり方に手を突っ込んできて、それを止められなかったことが違法」という判断が、。メインだろ?
そもそも「敵」を想定して排除していけば「美しい国」的なるものに近づけるという思考。オレはそれは唾棄すべきと感じてる。
まぁ、一言で言えば。荻上チキさまの発言を借りると。
「教えなくていい。《するな!》の一言で十分」ということでしょうか。こういう見識の元、宮台真司さん、尾木直樹さん、藤原和博さんらを真っ向から批判しているわけですから、西尾先生の勇気に感動です。西尾先生の信念には、学術データや理論的裏づけなど不要なのです。
ということなの?
(参考資料)
ドラマ:聖者の行進 あらすじアーカイブ