邪馬台国九州説と日本武尊出雲王朝説

「マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実」(池田整治 著者)に、ツッコミを。これで第2編。

大和(日本国)建国以前の神話にも、次のようなエピソードがある。
出雲の国でヤマトタケルが王になった頃、九州の高千穂地方に大陸から稲作文化を持ってきた呉の人々が、新興国家「邪馬台国」を作っていた。そしてヤマトタケルは、その邪馬台国を勢力下に収めるために遠征した。ここで大陸文明なら征服戦争になっていたかもしれない。しかしヤマトタケルは、邪馬台国の女王である卑弥呼と結婚。二人の間に出来た息子が大和に行き、やがて大和王朝、つまり日本を建国するのである。
(P100-101)

 どこを突っ込めば良いんだろう?これは。

 神武東征がすっぽ抜けては、神武天皇の立場は?
 葦原中国平定の立場は?大国主命の立場は?
 卑弥呼と結婚してもうては、弟橘姫の立場は?
 ヤマトタケルに討たれた熊襲建(もしくは川上梟帥)の立場は?

 これも「戦後教育が悪い!」と、言った方がよいのやら。

 邪馬台国が、呉からの出とするのは、まぁ魏志倭人伝(『三国志』魏書東夷伝倭人条)に登場するからこれは、大きな矛盾は発生しない。

 ところが今度は、皇紀のカウント開始の年がおかしくなる(西暦に+660足せば皇紀になるから、神武帝即位は紀元前になるわけだが、はてさてこれは許されるのか?

 出雲井晶氏の「母と子におくる教科書が教えない日本の神話」の考察にもあったが、

こうした主張をする人たちは、「中国に朝貢した」という話自体が気に入らない
参考


を信じたくもなってきた。